清水みなと界隈ナビ:次郎長所縁の町〜壮士の墓

■慶応四年、咸臨丸で清水港に脱走してきた幕府軍の軍人が、幕府の討伐隊によって壊滅させられ、清水港に浮かぶ脱走藩士の亡骸を、次郎長が丁重に葬ったのが壮士の墓です。
■死体を弔うことは、賊をかくまったとして幕府のおとがめを恐れた住民達が誰も手を出せずにいたが、次郎長は「賊だの罪だのは生きている間だけのこと。死んだ者に罪はない」として葬ったのである。後に山岡鉄舟がその心意気に感じて「壮士墓」という銘を与えたといいます。
■今も祥月命日には墓の建つ築地町の住民達によって供養が行われ、清水みなと祭りの最中には、次郎長道中が壮士の墓を訪れ、墓参りと手踊りで供養を行っています。
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